尺八について
このサイトを訪れたあなたは、もう尺八についてはよくご存知かもしれませんが、あまり馴染みのない方に簡単にご紹介させていただきます。
尺八というと、ほとんどの人は時代劇などに出てくる虚無僧を思い浮かべるかもしれません。または、お箏や三味線と尺八が合奏する「三曲」と呼ばれるスタイルや、演歌や民謡の伴奏、日本の時代劇で効果音に使われる楽器というようなイメージを持っているかもしれません。日本に古くから伝わる楽曲は今でも演奏され愛好家も多くいます。尺八固有の音色を追求した趣のある深みのある曲やお箏や三味線との絶妙な掛け合いは人々を魅了します。
一方で、最近では尺八の固定概念にとらわれず、様々なジャンル、スタイルの楽曲を創り出し、パフォーマンスをする尺八アーティストたちが数多く活躍しています。
SHAKUHACHI HACKサイトの”SOUND SOURCE“では、古典楽曲に加え、日本のみならずグローバルに活躍する様々なアーティストが提供する尺八楽曲を知ることができます。ぜひ一度チェックしてみてください。おそらく、尺八の概念やイメージが変わるはずです。
尺八の構造
尺八は真竹と呼ばれる日本に自生する竹の根本の部分を利用してつくられます。切り出した竹を油抜きをし10年近く乾燥させてようやく竹材が出来上がり、本格的な尺八づくりが始まります。
竹材の形を整えて節を抜き、長さを調整して成形していきます。根と反対側の端面は外側を斜めにカットしてあり、鋭くなった部分に息を吹きかけて音を出します。この部分を歌口と呼びます。指孔は基本的には表側に4つ、裏側に1つ、合計5つ開いています。最近では、演奏の都合上、指孔を6つまたは7つ開けて利用するアーティストもいます。一般的な尺八は、作り易くするために真ん中で2つに分割できるようになっていますが、持ち運びにも便利です。
節を抜いた尺八の内部は、音程を調整するために「地(ぢ)」と呼ばれるパテで成形し、最後に漆で仕上げたものが一般的で、演奏には主にこのタイプが使われます。一方、地をあえて用いず天然の竹の内部表面をそのまま残したものは「地無し尺八」と呼ばれ、独特の音色を楽しむ人に人気です。
尺八の魅力ある音色を決定づける非常に重要な要素は、実は尺八の内径にあると言って良いでしょう。現在に伝わる尺八は、竹の根の部分を使っていますが、これが歌口(息を吹きかける部分)から離れるにつれ内径が狭くなっているテーパー形状となる要因になりました。このテーパー形状が尺八の魅力的な音色を奏でるために非常に重要な要素となっており、西洋のフルートや南米のケーナ、中国の洞簫など、内径が同一である多くのエアリード楽器と一番異なる特徴と言ってよいでしょう。。
尺八の基本的な長さは1尺8寸(約54cm)で、これが「尺八」という名前の由来になっています。もちろん長さの違う尺八があり、全長が短いほど高い音が出て長いほど低い音が出ます。一般的には、1尺6寸から2尺3寸までの長さの尺八が演奏によく使われます。筒音(つつね:指孔を全部閉じて普通に吹いた音)の音程は1尺6寸がE、1尺8寸がD、2尺1寸がB、2尺3寸はAの音が出ます。おおよそ1寸長さが長くなるごとに半音低い音が出ます。最低音から最高音までは、だいたい2オクターブ半くらいの音域をカバーします。
尺八は一見シンプルな構造ですが、実際には竹の材料、歌口の形状、内径、指孔などのサイズや作り方などで音色が大きく左右され楽器としての性能も大きく異なります。この構造設計は一見してはわかりづらく、工房によって大きく異なりますので、尺八を始めようとする人が購入する際には、工房にその思想や狙いなどをよくヒアリングし、実際に試奏をして確かめることがよいでしょう。
音色と奏法
尺八はエアリード楽器の中でも、特に落ち着いた渋みと深みがあり、または音色は艶やかで伸びがあり、ときには疾走感、ドライブ感を出せることが特徴で、演奏するアーティストの個性をあますことなく表現できる楽器と言えます。尺八の構造的な特徴(歌口の形状や内径、指孔の数、シンプルな構造など)や縦に吹く楽器であることがこれら音色の特徴を生み出していると考えられます。その他、尺八ならではの独特な吹き方が音色に大きく影響しますのでいろいろとみていきましょう。
まず、尺八の音を鳴らすには、鋭く薄くなった「歌口」に息を吹きかけて音を鳴らします。音の出し方による楽器分類としては「エアリード楽器」に分類され、同じ仲間には南米のケーナや、横に構えて吹く篠笛やフルートなどがあります。
尺八の奏法の特徴的なものとして主に「指」、「首」、「息」の3つがあります。
- 指の奏法としては、指孔を全開、全閉するだけでなく、少し開けたりまたは指孔に指をかざしたりすることで音程や音色を変えることができます。これにより西洋音楽で定義する12音階のみならず、その間を埋める微妙な音程や音色の表現が可能となります。たとえば指孔を少しづつ開閉すれば音程を滑らかに変化させるポルタメント奏法が可能になりますし、開け方を変えることでどのような音程も自由に出すことができます。また、同じ音程でも指孔のふさぎ方を変えることで違う音色を表現します。指孔が5つしかないシンプルな構造ですが、これが音の表現の豊かさを生み出しています。指孔はシンプルなので
- 首の奏法としては、首を横や縦などに動かす方法などが特徴的と言えます。首を横に振ると歌口にあたる息の強さに強弱が付き、ビブラートをすることができます。首を縦に動かすと、歌口と息の出る唇の距離が離れたり近づいたりすることによって開口面積が変化し音程が変化します。横や縦の振り方を組み合わせたり工夫することによってさまざまなニュアンスを出すことが可能となります。尺八の奏法を習得するまでに「首振り3年」などと言われることがあるのはこのような奏法によるものであり、首の動作による奏法を重要要視しているスタイルや流派も多いです。一方、最近では、首を動かすことなく指孔のふさぎ方や、尺八と唇の距離を調節して音程をつくりだすテクニックも一般的になってきています。
- 息の奏法としては、音を出す部分(歌口)に吹きかける息によって音色を変えることができます。例えば、素直に吹きかければ澄んだきれいな音をだすことができますし、逆に乱れた気流を歌口に吹きかけると「ムラ息」とよばれる雑味や深みがある音色がでます。このように歌口に吹きかける息によって音色を変えるような奏法も尺八の特徴といえるでしょう。これにより、西洋フルートのような澄んだ音をだしたり、太く深みのある音をだしたり、またはエレキギターのディストーションのような荒々しい音を出して表現することが可能です。
尺八の歴史
尺八の歴史については、文献が少なくわからないことが多い上に、根拠のない言い伝えや作り話に加え風説を掲載してしまう辞書などがあり、誤解も多いようです。以下はShakuhachiHackが独自に調査・推察しまとめたものですので参考として頂ければと思います。
そもそも「尺八」や「尺八の仲間」をどのように定義するかによって、歴史も変わってくると言ってよいでしょう。「筒状の片端の外側を斜めに切った縦吹きのエアリード楽器」を「尺八の仲間」とすれば、日本に現存するもっとも古い「尺八の仲間」は正倉院に保存されています。これらは奈良時代に中国の唐から宮廷音楽である雅楽の楽器用として持ち込まれたのではないかと考えられています。現代の尺八とは構造が異なり、指孔は全部で6つあり、内径も小さく一律のようです。竹の素材以外にも石や象牙を加工したものなどが保管されていますが楽器というよりは美術品として持ち込まれた可能性もあり、実際に吹奏されたかは定かではありません。この「尺八の仲間」はその後、雅楽に用いられることもなく日本では普及することはありませんでした。
次に、「尺八の仲間」が現れたのは室町時代後期(15~16世紀)に流行した「一節切(ひとよぎり)」です。これは、竹の一節部分のみを残して作られることからその名がついたといわれています。これも内径は同一径ですが、指孔の数は5孔で日本の音階に適した作りになったと考えらえます。一節切は、武家や僧侶などを中心に流行したようですが、「一休さん」で知られる一休和尚や水墨画家の雪舟、そして織田信長に仕えた大森宗勲なども一節切の名手だったといわれています。戦国時代の織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の3武将に引き継がれたと言い伝えられている「乃可勢(のかせ/のかぜ)」と呼ばれる一節切が、長野県諏訪市の寺院貞松院に保存されています。ただし人節切も17世紀、江戸時代に入るとあまり吹奏されることが無くなっていきました。
現代に普及している尺八は、「尺八の仲間」と区別するために「普化尺八(ふけしゃくはち)」と呼ばれることもありますが、江戸時代に入ってから忽然と現れたと考えられています。尺八は日本に自生する真竹の根の部分を用い、太さは直径3~5cm程度、長さは1尺8寸(約54cm)を基本とし、指孔の数は日本の音階にあわせて5つとなりました。「尺八」が「尺八の仲間」と大きく違う点が内径構造です。竹の根の部分を使っているために、歌口(息を吹きかける部分)から反対側(根の部分)に近づくにつれて内径が狭くなるテーパー構造をしています。このような構造になったことで、それまでの内径が一律の「尺八の仲間」よりも、より魅力的な音色を奏でることができるようになりました。「筒状の片端の外側を斜めに切った縦吹きのエアリード楽器」と定義される「尺八の仲間」に、「テーパー状の内径」という条件が加わることで、いよいよ現代に伝わる尺八が登場しました。
江戸時代(17~19世紀中頃)には虚無僧と呼ばれる僧(こむそう、もともとは薦を持ち歩くことから薦僧(こもそう)とよばれた)が尺八を吹きながら喜捨を請い、諸国を行脚修行したと言われています。この虚無僧は「禅宗の一派である普化宗の僧侶である」という説もありますが、そもそもそのような宗教が実際に存在したかどうかは定かではないようです。とはいえ、普化尺八という呼び名は現代でも定着しています。当時の政府である江戸幕府によって尺八の吹奏が虚無僧にのみ許可されたことで一般の者が吹くことが制限されるようになると、純粋な音楽楽器として広く普及することはありませんでした。幕府が吹奏を制限した理由は、江戸幕府が虚無僧を国中の諜報活動に利用したとする説など諸説ありますが、そのことを裏付ける決定的な証拠はなくそれは昭和時代の時代劇映画の脚色ではないかという説もあります。
いづれにせよ、江戸時代には、尺八は音楽楽器というよりもむしろ、宗教に利用する法器、または瞑想のための道具としての性質があったようです。とはいえ、次第に尺八の音色の魅力に取りつかれ吹奏を好む者はわずかに存在し、18世紀中ごろには黒沢琴古が尺八の楽曲を体系的にまとめ普及に尽力しました。黒沢琴古の流れをくむ楽曲や演奏スタイルを現代でも琴古流と称します。また、文化文政の頃(19世紀初期)には、箏・三味線と合奏されるようになっていたようで尺八を吹く姿を題材にした浮世絵なども存在しています。
尺八が本格的に音楽のための楽器として使われ始めたのは19世紀中頃で、江戸幕府による政治体制が終わり明治時代入ってからになります。虚無僧が明治新政府により禁止されたことにより、尺八はようやく法器ではなく音楽楽器として積極的に使われ始めました。和楽器の箏や三味線と積極的に合奏するようになったのも明治時代に入ってからと考えられています。
20世紀に入り、和楽器を継承する家系に生まれた中尾都山が作曲活動を積極的に行いました。それまで独奏が主体でしたが、尺八同士の合奏曲、和楽器と西洋楽器の合奏曲など、合奏曲を数多く作曲しました。また、これらの作曲作品は、それまでの尺八の楽譜を、西洋音楽とともに日本に入ってきた五線譜を参考に改善し、お箏や三味線の楽譜とも整合するよう努力をしました。さらには、師弟関係を重視した普及・教育システムとなる家元制度を発足し、都山流として組織化することにより、尺八は急速に日本全国へ普及することになりました。現在、日本国内の尺八吹奏愛好家に都山流に属する人が多いのは、中尾都山が生み出した合奏、楽譜、教育システムのアイデアが効果的に機能したことによるためで、中尾都山は尺八の普及に多大な貢献をしました。
尺八のこれから
1970年頃から、村岡実や山本邦山などが古典楽曲のみならず、積極的に様々な音楽ジャンルで尺八を演奏し尺八のあらたな可能性を広げてきました。現代では、江戸時代より伝わる虚無僧音楽や、明治時代に確立した琴古流や都山流の「古典尺八楽曲」などに加えて、ジャズ、フュージョン、ロック、民謡、演歌、アニメソングなどあらゆる音楽楽曲で尺八楽器が普通に使われるようになりました。尺八の豊かな表現力を駆使して、様々な尺八アーティストが、古典的な楽曲はもとより新たな作風やスタイルの音楽を創作しています。その魅力にとりつかれた日本以外の国出身のアーティストも数多く活躍しており、様々な音楽的背景、音楽能力を持つ、世界中の新進気鋭のアーティスト達が尺八を使った魅力あふれる音楽を創作しています。
SHAKUHACHI HACKサイトのARTISTやSOUNDSOURCE、LIVE INFOなどで新進気鋭の尺八アーティストをチェックしてみましょう。
また、尺八という楽器自体も、高度な表現力、演奏技術を持つ様々なアーティストたちに使われるこにより、楽器としての完成度が高まってきました。これまで素材として主に用いられてきた真竹だけではなく、新たな素材を用いることで尺八の良さを継承しつつ尺八の枠を超えた「高性能エアリード楽器」を作る試みも始まっています。サクソフォンに代表されるリード楽器、トランペットなどのリップリード楽器などのように、尺八を基本とするエアリード楽器が近い将来、世界のあらゆる音楽シーンで使われることになることでしょう。
尺八という楽器は、日本で生まれ、日本で育まれ、そしてグローバルを舞台に進化し続けている楽器ということができます。
(SHAKUHACHI HACK事務局まとめ)